ねじの基礎講座

私たちの身近にあって欠かせない存在、「ねじ」。
ねじにはどのようなはたらきや歴史があり、どんな種類があるのか。
本連載では、ねじに関するさまざまな事項をご紹介していきます。
第1章 ねじのキホン

1-2 ねじの歴史

ねじが誰によっていつ頃発明されたのかに関する明確な答えはありません。ただし、ねじの特長の一つである螺旋は、紀元前に発明されたアルキメデスの揚水ポンプやぶどう酒を絞るためのプレス機などに用いられていました。 その後、1400年代にドイツのグーテンベルクが発明した活字印刷機はねじプレスを転用したものであり、これは活字文明の先駆けになるとともに、その後の金属加工におけるプレス技術の基礎になりました。これらの螺旋は運動用ねじの原点ということもできます。

締結用ねじの使用が広がりを見せるのは、レオナルド・ダ・ヴィンチが機械要素の一つとしてねじを研究していた1500年頃からです。彼はねじの幾何学的な形状やねじを製作するねじ切り盤のアイデアをスケッチに残しています。 これはその後、1700年代半ばから1800年代にかけて起こった産業革命の時期に確立した製鉄技術の進歩や鉄鋼材料で機械を製作する工作機械の発明などにより、鉄製のねじが本格的に普及していることになります。

さまざまな工作機械が発明されるなか、1800年頃にイギリスのヘンリー・モーズレーはねじ切り用の旋盤を開発しました。この旋盤は加工する丸棒を回転させながら刃物台に固定された刃物を押しつけて切り込みながら移動させることで、丸棒にねじ山を成形することができ、これによってねじの大量生産が可能になりました。 同じねじを大量生産できるようになると、ねじ山の形状やねじ山の間隔であるピッチなどを統一して互換性をもつねじが作られるようになり、ねじの標準化に向けた規格も整備されていきます。

日本におけるねじの起源は、1500年代半ばにポルトガル人が種子島に漂流したときに伝来した火縄銃にあるとされています。すなわち、火縄銃の火薬を出し入れする尾栓にねじが用いられていたのです。種子島の領主はこの火縄銃を買い入れて、刀鍛冶にこれと同じものを製作するように命じました。 しかし、刀鍛冶はねじの製造法がわからず、それを知るために娘の若狭をポルトガルに嫁がせるなどしました。これは若狭姫伝説として、今も語り継がれています。その後、ねじの発展は徳川幕府が鎖国を解くまで待つことになります。1860年に遣米使節目付役として海を渡った小栗上野介がねじを持ち帰ると、小栗はフランス人のお雇い外国人ヴェルニーの協力を得て横須賀に製鉄所と造船所を建設し、日本の工業の発展に大きな役割を果たします。 このとき、小栗が米国から持ち帰ったねじは、彼の菩提寺である群馬県の東善寺に保存されています。なお、現在でもねじのことをフランス語でねじを意味するビス(vis)ということもありますが、これは当時フランスの援助でねじが輸入されていたことの名残だと言われています。

執筆:神奈川工科大学 門田和雄 教授

『ねじの基礎講座』の目次

第1章 ねじのキホン

第2章 ねじの種類

第3章 ねじの強さ

第4章 ねじの材料

第5章 ねじの作り方

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