工具の熱処理・表面処理基礎講座

本講座では、主要工具材料である工具鋼の種類と、それらに適用されている熱処理(主に焼入れ焼戻し)および表面処理(主にPVD・CVD)について詳細に解説します。
第6章 工具を対象としたPVD、CVDによる硬質膜の種類と適用

6-7 DLC膜の生成法と構造

DLC膜の生成法は、炭素の供給源によって大別され、図1に示すように、固体の黒鉛(グラファイト)を用いる方法と炭化水素系ガスを用いる方法とがあります。前者にはスパッタリング法とイオンプレーティング法があり、後者を代表するものにはプラズマCVDや熱電子によるイオン化蒸着があります。

図1

黒鉛を原料とする成膜法のうち、マグネトロンスパッタリングが最も実用的であり、とくに受託加工業界では、アンバランスマグネトロンスパッタリング(UBMS)を採用する事例が増加しています。UBMSではプラズマ領域が処理物にまで達するため、通常のマグネトロンスパッタリングに比べて処理物へのイオン照射効果が大きいため、皮膜の密着性に対して有利であると考えられます。

炭化水素ガスを原料とする成膜法は、減圧した真空槽内に炭化水素系ガスを導入し、熱電子衝撃、RFプラズマまたはDCプラズマなどの作用によってイオン化して基材に叩きつけ、皮膜を堆積させるものです。RFプラズマCVDやDCプラズマCVDの概略については第5章で紹介しましたから、ここでは熱電子衝撃によるイオン化蒸着法の概略と成膜条件を図2に示します。本方式は、旧東ドイツで開発された成膜法で、1980年代に日本に紹介されてからカーボン膜生産用装置として採用されるようになりました。

図2

本方式による成膜機構は、気体分子や原子が熱電子衝撃によって陽イオンになることを利用したもので、炭素供給源としてはベンゼン(C6H6)を用いるのが普通です。メタン(CH4)やアセチレン(C2H2)など他の炭化水素系ガスを用いた場合でも、適正成膜条件や成膜速度は異なりますが、ほぼ同様の皮膜が得られます。

反応ガスとしてC6H6を用いたときのDLC膜生成の概念は図3に示すとおり、C6H6が熱電子衝撃によってイオン化またはラジカル化(様々なCとHの組合せが考えられる)し、これらが負の電圧が印可された基材に衝撃的に衝突して炭素膜が堆積します。すなわち、基材への衝突の衝撃によって結合エネルギーの最も小さいC-H間が切られ、Hがスパッタされ、処理物表面にHを含んだ炭素膜(DLC)が堆積して皮膜を形成します。

図3

DLC膜はXRDでは鋭いピークはまったく得られないことから、微細結晶または非晶質であることが推測されます。TEMにて電子透過像を観察したところ、図4に示すように、全領域にわたって結晶質と思われる組織は観察されず、非晶質相にみられるような位相コントラストによる微細なパターンを示しています。さらに、図中に示した電子回折パターンにおいても、結晶質特有の鋭い回折線やスポットはみられず、非晶質特有のハローリングのみが観察されます。以上のことからも、DLC膜は非晶質であることが推測されます。

図4

非晶質のDLC膜の構造評価にはラマン分光分析を用いることが多いので、前項の図4を参照してください。すなわち、1520cm-1付近を中心にしたブロードなピーク(sp2)と、さらにこれよりも低波数側に比較的散乱強度の高い領域(sp3)が存在し、ダイヤモンドや黒鉛とは異質の炭素膜であることが分かります。

執筆: 仁平技術士事務所 所長 仁平宣弘

『工具の熱処理・表面処理基礎講座』の目次

第1章 工具に用いられる材料

第2章 炭素工具鋼、合金工具鋼の焼入れ・焼戻し

第3章 高速度工具鋼の焼入れ・焼戻し

第4章 工具を対象とした表面処理の種類と適用

第5章 PVD、CVDの種類と工具への適用

第6章 工具を対象としたPVD、CVDによる硬質膜の種類と適用

第7章 工具の損傷事例と対策

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